生産性とは何か?

命を生産性が有るだの無いだので偉そうに選別しやがる植松聖。

じゃあ、誰のおかげで空気を吸ってるのだ?

空気すらそんな欲深い人間達のおかげで汚れて吸えない状態になりつつあるじゃないか?

命があるのは誰のおかげだ?
自然からの恩恵だろうが?
人間が命を生み出せるのか?
人間が死者を蘇らせるのか?
全ては自然のおかげで成っているのでは無いのか?


優生保護思考の生産性を強調する私の両親のような人間達のおかげで命もろとも自然破壊が何度も何度も繰り返されて、それでもなお、空は浄化を続けてくれている。

自然の大きな人間愛や生命愛が愚かな人間共の欲望を許してくれている。が、しかし、北極南極の氷が溶けてきて愚かな我々の直ぐ足元まで自然破壊が徐々に始まりつつある。

天下を獲ったように振る舞う健常者共だって、自然災害に勝てるのか?

生産性が無いから死ねと言う輩に明日の天気が変えられるのか?

本当の生産性とは何か?
それは、命を生かす深い愛情である。

生産性の全く無い赤ちゃんが深い愛情で育っていく。

金持ちで地位も名誉もある両親が欲深く、自分の子供も同じ生産性がある人間に育つよう条件付きの愛情を与えた挙句に同じような価値観の子供が育って、その人間がまた生産性を声高に叫ぶようになり、そういう人間達で構成される社会と、ありのままを愛され地位や名誉や生産性よりも存在そのものを愛されて、貧乏であっても、障害があって上っ面の無知な世間から蔑まれても苦労して一生懸命生きる両親の後ろ姿を見て育った子供の心には篤い涙があり、愛情があり、生きる努力がある。

その愛情の叡智によって生み出される力こそが本当の生産性だと思う。


いくら着飾り机上の学歴に酔いしれ居丈高に上っ面の街を闊歩したって、そんな者達が巧妙に牛耳った社会では、虐めや殺し合いや自然破壊や戦争は止まない。

命への畏怖の愛情が無い限り、生産性だけを崇拝したって我々の命は、かってあった戦争のように先細るだけである。

例えば日本人がやった人間を弾丸のように扱うかっての戦争による「産めよ!増やせよ!」で命を都合良くバースコントロールしたはずが、その結果、今の高齢化社会を巻き起こしたように。


カネに直結する生産性が重視される一方で、各企業がイメージという架空の良心を演出するのに囚われて、不祥事を必死に隠したりマイナーなネタを無視したり右往左往している。

良心つまり良い心とは何か?

そういうことが人々の心を打ち、感動がお金を生むということを、実は我々は知っているのである。


カネで人を選別する心には感動は生まれない。
その感性が無い。
つまりは良心が無い。
要するにそれこそが生産性が無い。


そこには生産性の無い冷酷無情な社会があるのみなのだ。