支配的強制的な両親による虐待は逃げ場が全く無く、激しい自責の果てに死ぬしかない絶望感。両親と居て1分1秒が怖かった。

f:id:danae7:20190906043652p:plain2019年9月5日 東京新聞朝刊

 東京都目黒区で昨年三月、両親に虐待された船戸結愛(ゆあ)ちゃん=当時(5つ)=が死亡した事件で、保護責任者遺棄致死罪に問われた母親の優里(ゆり)被告(27)の裁判員裁判が四日、東京地裁であった。夫の雄大(ゆうだい)被告(34)=同罪と傷害罪などで起訴=が「自分の暴力はやばい」と認識しながら暴行をエスカレートさせた経緯や、結愛ちゃんが「べらんだでたたされた」とノートに書き残していたことなど、虐待の実態が次々と明らかにされた。 (山下葉月、池田悌一)

 検察側が朗読した雄大被告の供述調書によると、雄大被告は昨年二月下旬の夜、真っ暗な部屋で結愛ちゃんの顔面を殴打した。そのまま寝かせると、翌朝、結愛ちゃんの両目は開けられないほど腫れていたという。「自分の暴力がやばいことに気づいた」が、起きてこないことに腹が立ち、バスタブに閉じ込めた。

 結愛ちゃんはぐったりし、その後は四日間ほど三十分ごとに嘔吐(おうと)。三月二日、優里被告から心臓が止まっていると告げられると、「頭が真っ白になった」という。

 雄大被告は香川県にいた二〇一五年八月ごろから、交際していた優里被告の長女結愛ちゃんと交流するようになった。結婚を視野に入れていたため「しっかりしつけなくては」と思い、当時から結愛ちゃんの頭を手のひらでたたいたり、足蹴りすることもあった。一六年四月の結婚後は、二日に一回ほど暴力を振るっていたという。

 検察側は、結愛ちゃんが香川県で通院していた病院の診療記録も読み上げた。結愛ちゃんは医師に「パパからおなかとかをキックされる」と打ち明け、「(一時保護されていた)施設に行きたい。パパがいないから」と話していた。
東京新聞より】


※ これは体験した者で無いと解らない自身が絶対的弱者として支配者に殺されるかも知れない逃げられないという激しい恐怖と孤独と絶望感の体験。
無関心なのに病的な程に過干渉で支配的で、息が詰まるほど多くを要求されて、何をすれば怒られずに済むのか?監視されて多くの要求が出来無いと長時間激しい暴言暴力の後に投げ捨てるように放置される。
それが休みなく来る日も来る日も延々と続く。
ふと、窓の外を見て、鳩が自由に歩いている姿を見て羨ましかった。
怯え切って身動きすることすら怖かった。多くの要求に応えられず身体はアザだらけで疲れ果て生きることを休ませて欲しいと思った。
頼れる人なんか居なかった。
心の拠り所が無かった。
誰も助けてくれない。牢獄のよう。
泣くことは許されない。
泣くと苛立つ両親を更に刺激してもっと暴力が激しくなり、殺すと脅されるから。
口に両手を当てて嗚咽を我慢すると激しく身体が震えだし全身の力が突然抜けて自力では動けなくなる。舌が口から全部出てきて喋れ無くなる。異常なほど激しく震え身体が硬直してそのまま数時間寝たきりでトイレも行けない状態になり、それが両親が虐待をするとそんな身体になった。
毎回全身が硬直して震え、グッタリして自由が利かなくなりしばらく長時間寝たきりだった。
両親から心配もされず放置された。(←大人になって極度のパニック発作だと判明。私は、両親が放置した挙句の飢餓と、両親が家に帰って来れば夫婦喧嘩の果てに私に暴言暴力を加えるの繰り返しの極限的恐怖で無意識に高所から投身自殺未遂をしていた。その後も記憶が途切れる程悲惨だった。両親と居て生きた心地がしなかった)

両親の保守派日本至上主義で、常に自民党派で偉ぶって居丈高で、特に超プライド高の母親は私に「自分のお腹を痛めて産んだ子なんか生かそうが殺そうが親の勝手!未熟児のお前なんか殺したって裁判で母親の私は勝てる!嘘泣きしてでも勝ってやる!」と掃除機の柄で血管が切れる程に殴られたり、包丁を向けられ「虫けら以下めが死ね!」と脅された。
父親も激しく暴力的な暴君で、両親共に直ぐにカーッとなり、直ぐに一家心中のような極限状況になって、母親から「お前さえ生まれ無ければ!」と意味不明のことを言われて(だって私は両親から奴隷のようにコキ使われ幼稚園頃から父親の靴磨き新聞煙草の用意に皿洗い風呂掃除ずっと動きまわって働かされていた。誤って皿を割ろうものなら、コップをひっくり返そうものなら、両親は無言で私を殴ってくる。結愛ちゃんが働かされていたことを私はリアルに想像出来る)、父親から足で私の顔を踏み、頭を大きな拳骨で何度も殴打されたり「体を売ってでもカネを稼げ!さもなくば生ゴミを食え!」と要求されたり、父親が自分の大きな拳骨を私の頭を持って口の中に押し込んで「食え!オラ食え〜!」と暴力をされていた。
父親は大柄で柔道黒帯の喧嘩に強い男だったので、父親の大きな拳骨を思い出すと目眩がする。
私が幼児期の頃までは父親は可愛がってくれたが、男尊女卑思考が強い父親も私が5才頃から私にだんだん暴力的になっていった。

私がまだオムツをしてヨチヨチ歩きだった頃から母親が私を引きずり回して風呂場に連れて行き、真冬の水が張った大きな洗濯桶の中に頭からぶち込まれ、水から出ようとするとお尻を蹴られて息が出来なかったのを覚えている。
多分、私が2才頃のこと。
ずっと両親の激しい面前DVを見てきた。二人共に気違いのようだった。
父親は呑む打つ買うの放蕩をして母親は実家に入り浸りだった。


両親は日本の格式高い伝統的な先祖代々の血筋やらを守るために躍起になって、最初に健常な長男が生まれ無かった捨鉢感と、身分の差でバカバカしい程の拘りの考え方が生む諍いを、私にぶつけ、私は日本の伝統にヒステリックに拘る両親を子供の頃から見ている。(盆正月など特に子煩く喧しく地獄のようだった。)

その両親の日本的な拘りが、生き写しのように今の日本社会に蔓延していて驚く。
特に自民党安倍総代の「日本会議」。
あのヒステリー感は私の両親そのもの。醜いと思う。
自由民主党なんて名前が違うと思う。
自民党の政治の私物化する我儘感が中国共産党政府みたいだと思う。


私の両親も結愛ちゃんの両親や虐待をする両親と同じ類に漏れず私に「ダメなお前をしつけてやっている。有り難く思え!」と常に言っていた。
男の兄弟には腫れ物に触るように大切に溺愛して、私だけ虐待されていた。
なので溺愛された兄弟が両親のような打算的で身勝手な性格をしている。
両親共に親からは溺愛されて育ったと聞いた。

精神科医ステレオタイプの考え方で「虐待されて育った者が再び虐待をやる」と言うが、私はそうは思えない。
虐待されて自尊心を破壊されて、どうして他者を破壊するほど自己肯定ができようか?

私の両親も虐待をしつけだと豪語するほど自己肯定が強かった。


居丈高の私の両親は典型的なナショナリストで、純日本人で自分達が偶然性で家柄が良いだけでここまで人を見下げて冷酷で、人を条件で差別し、カネで値踏みするような人間だった。

だからナショナリズムとやらを私は軽蔑するし冷めた目で見てしまう。
特に自民党保守系日本会議は、日本の極端なヒステリー的拘りや絶対強者的絶対支配者的な極右思考がかえって日本の恥だと心底思う。
絶対弱者の結愛ちゃんの死に涙するなら、市井の人々に「死んで国に尽くせ!」などとまるで私の両親のような主張をする偉そうなこんな極右強者的な団体が存在することをなぜ許すのか?
こんな弱者をいたぶるような危ない団体の代表が国の総理大臣だなんて異常過ぎると思う。
安倍自民党日本会議=船戸雄大被告と感じる。
たとえ安倍氏から小泉進次郎氏に総理が交替しようと好戦の自民党は怖い。

父方の実家では大きな家の壁に自民党のポスターが貼られていた。
虐待両親=自民党=強者の味方=日本会議=戦争=弱者虐め=船戸雄大被告という図式になる。


私は、いまだに大人になっても両親とのあの恐ろしい体験が一瞬にして脳裏をよぎり今も続いているように錯覚するのに…。
現実感がない程に孤独でいたたまれなくなり、全てが凍ったように見えて感じられる。(離人症)
まるであの頃が続いているように錯覚して真夜中に怯える。
慢性的に不眠症の酷い入眠障害である。
人の言動から両親の影が垣間見えて、フラッシュバックがきて苦しくなってパニック発作を起こす。
基本的に人が極度に怖い。心が開かない。
両親から殺されそうな程に暴力を振るわれて、私が死んでも平気な親を見続けて、どうして他人が信じられようか?
どうしてもフラシュバックがきつくなって人に怯えてしまうので、支配欲の強い意地悪な人(モラハラ加害者)に目をつけられて虐められてしまう。
それは、聞こえない等の中度の重複障害があるせいもあるけど。(子供の頃から頑張るのが普通になっていて、両親から離れたがいまだに厳しい環境下で休めず周囲からの厳しい容赦の無い要求をされ、私も幼少期からの癖で自身に容赦無く常に疲弊するほど働く)


多分、あの強烈な記憶は心の傷になって一生消えない。
他にも多くの書けない程の体験を両親からさせられた。


例えばかろうじて結愛ちゃんが生きていけたとしても、あんな両親を幼少期から肌身に感じて見てきただけにその先の人間関係が怖くて生きづらくなると思う。
自分を粗末にしてしまうと思う。

大人になったら、子供時代よりももっと甘くない過酷な人間世界が待っているから。
ずっと辛いまま。

両親からの虐待被害者は周囲とは違う(実の親から虐待されるという)奇異な体験により周囲から辛さを理解されず、周囲の無理解バッシングで更なる虐待再体験をし、ずっと辛さが続く。
もう、瀕死寸前の心が並の人間関係のトラブルにも耐えられない。
過酷なあの子供時代を過ごして、耐えられなくて、自分が大人になれるとは思わなかった…。

大人になった今、並の大人達が持って喜々とする宝石類に尻込みする。
それは、あの欲深い両親が常にカネに換算して欲しがった物だから。

子供時代を奪われた私は不本意にも大人になってしまって、

誰も大人が欲しがらない、素朴な、可愛い、おもちゃや絵本に心を奪われ、その優しく柔らかな世界観にふと癒やされる。
だけど大人になった自分が、それを他人に知られるのは悲しい。


印象的に人の心は欲に塗れて温かくない、冷酷だと感じる。


フラッシュバックきつくなるのでこの内容は消すかも知れない…。

ただ、理解を乞うなら、両親からの虐待だけではなく一般的にも強者が弱者を抑圧支配嘲笑強制罵倒虐待する場面が大人になってもあるので、それは絶対弱者の結愛ちゃんが絶対強者である両親から虐められることと同じ、上にも書いたように虐待の再体験になる。

このニュースで不思議にも涙して同情する人がいるから、ならば、大人の世界でも強者の立場の人達が弱い立場の人達を虐めないで欲しいと切に願う。

https://youtu.be/dDJeqMwkSns
山本太郎が関連する虐待の話をしている。