心の余裕の無さから忍び寄る戦争の足音。(大正デモクラシーを大戦へと導いた日本新聞、それは思考1本化強要による多様性損失で悲惨大戦を誘導)

f:id:danae7:20190816171546j:plainf:id:danae7:20190815181139j:plainhttps://biz-journal.jp/2019/08/post_113533_entry.html
(↑山本太郎氏の今の主張が大切。写真の船後議員は東京新聞より。)


あの第二次世界大戦の前、驚くことに日本には一時的にも今と同じように音楽や海外文化を楽しみ生活や人生をおのおのが自分らしく彩る民主主義の考え方があったらしいのだ。


「なぜ原爆を落とされ、なぜ悲惨極まりないほど多くの人々が泥にまみれ血まみれになって死んでいったのか?その原因はなぜ…?」

その疑問の上に、日本には戦前に大正デモクラシー(民主主義)という欧米の文化の映画や音楽、絵画等の自由で人権を大切とされる日本独自の考え方があったというのだ!
当時は言論の自由普通選挙だってあったという。
大正時代は政府が人々の支持を得て日本軍の力を抑えることに成功したという。

驚きである。
私はそんな民主主義があったなど知らなかった。

敗戦後、アメリカのGHQから憲法を押し付けられた理由も知らなかったが、その前にも日本に民主主義が存在していたことすら知らなかった。

ではどうして日本はその民主主義を誰から剥奪され手放し、なぜ軍国主義の道を突き進み、どうして原爆を落とされ、米国から再び民主主義の憲法を持たされ今に至ったのか?

私はてっきり日本は原爆を落とされたので、その映像ばかりがテレビから出てくるので日本は全くの被害者でアメリカから侵略を受けたのか?と子供の頃は思っていた。

でも日本が全くの被害者ならばその理由も原爆投下の悲惨さと共に報道されるはず?


あなたはその理由を知っているのか?


日本はあの戦争の被害者ではない。


原因は大正民主主義を人々が手放したから、いや、狡猾に奪われたからだ。


誰から奪われたのか?


大正時代に日本独自の民主主義という自由を十分に謳歌していた人々が、日本を戦争へと向かわせることになった「テロ」があり、その思想を拡めたいと欲望される戦前最大の右派メディアがあったとされる。

それは当時、日本新聞というメディア団体だった。

新聞創刊の「目的」は、
日本至上主義と呼ばれる思想を拡げること。それは人々の思考を1本化させることが目的。


それこそが美しい日本だという主義主張であり絶対視され何より人々の命より国の存続が重要で「お国のために死ね!」なのである。(それをあがなうように沖縄には「ヌチドゥタカラ」という言葉がある)


そのメンバーは後に戦争を指導することになる人達が名を連ねていた。

「我が日本の皇道政治は万世一系天皇が現人神として道徳政治を実現したものである。」


しかし、当時、日本至上主義は言論や画美術の世界では古い思想として最初は人々から受け入れられていなかった。

だが、日本至上主義(日本新聞という団体)は自由主義のデモクラシーの自由な風潮が(日本にとって)危険な思想を社会に拡げているとして日本人や日本社会への変革を目指したのである。(←これ、どっちが危険だかよぉく考えて欲しい。どっちが過激?美術音楽を楽しむ心が過激なのか)

当時の新聞という(メディア)を利用して日本新聞は、今と同じように自由主義の思想を持つ者達を「売国奴」、「非国民」などレッテルを貼りを繰り返し激しく攻撃していたという。

「戦争の体制とか軍国主義とか、そういう思想に(人々が)変化していったのが、日本新聞を見ることによってすごくクリアに把握出来る」(福家宗洋京都大学准教授談)


日本新聞(後に人々を大量死させる大戦へと導く好戦勢力)は当時の民主主義の自由な風潮が日本は国家体制の危機を招くとして激しく繰り返し攻撃した。
次に、日本新聞の日本至上主義は欧米列強ではなく日本こそがアジア全体の盟主になるべきだと考えていた。


そうして次々に日本至上主義に反する自由な民主主義(デモクラシー)を重要視する総理大臣等や東大教授が日本新聞のメンバー等にピストルで銃撃され、殺されていった。

以下が日本至上主義によって革命テロで射殺された自由でデモクラシー(民主主義思想)の人達。

浜口雄幸(立憲民政党総裁総理大臣)
井上準之助(元大蔵大臣)
犬養 毅(総理大臣、五・一五事件)
松尾伝蔵(内閣総理大臣秘書官)
高橋是清(大蔵大臣、二・二六事件)
斉藤実(内大臣二・二六事件)
渡辺錠太郎(教育総監二・二六事件)
〈cf. wiki

こうして次々にテロの標的になり人々の恐怖が言論を封殺していった。日本主義思想家達(←日本新聞という好戦勢力)の思うツボにハマっていった。

すかさず日本至上主義は日本新聞でたたみかけ、日本を次々と1本化させる情報を発信させていく…。


その後、運の悪いことに昭和恐慌という飢饉に襲われ人々が貧困に喘ぎ政府は打つ手がなかったという。
不況に直面して人々の心に余裕が無くなり、音楽だの絵画だの文学だのと言ってられない!とそれ等を軽視して手放すようになっていった。
更に政治の汚職事件が多発し、人々はその閉塞感の中で民主主義思想が悪いことだと感じる気運に飲まれていった。

今でも、「こんな不景気に福祉などありえない!」との考えが存在するよね?
それが、福祉を、言論を、芸術を、自由を、少しずつ剥ぎ取って私達の思想を1本化させるのを虎視耽耽(こしたんたん←トラが物陰から獲物を睨む)と狙っている人達がいるのだ。

そうして日本は戦前の僅か10年あまりで社会から自由が失われ、人々は破滅の入り口(太平洋戦争)へと立つことになる。
(NHKスペシャル「かくて自由は死せり」より引用)


不況(デフレ)といえど、れいわ新選組の代表者の山本太郎氏が言うように大企業等は儲かっているはず。
安倍総理が言うように景気は回復したというのは大企業の儲けが良くなっているからであって、決して私達庶民のことでは無いと思う。私達はむしろ外されてるのではないか?と不安を感じる。


だから山本太郎氏が提案した金持ちから取りましょうよ!という考えは私は正解だと思う。
MMT理論(現代貨幣理論)が山本太郎氏の示しているところだと思う。

デフレが続く上に消費税を10%にさせられて、私達の生活や心に余裕が無くなっていくのを狙っていると思う。
余裕が無くなり、福祉や言論の自由や芸術やら多様性を削ぎ落として更に余裕が無くなっていきイライラして、それを時代のせいにして、そういう状態で、震災などの次に何かがあった場合、一瞬に弾けるように人々の考えが、扇動された1本化の道を突き進んで行くのだと思う。

言論の自由を奪われる…(つまり口を完全封鎖される。)
悲しい、嫌だ!、止めて欲しい、が言えなくなる(←人権剥奪の状態。)

人々が一律に同じ事を言わされ実行を強要される(←教育勅語の暗唱、多様性剥奪し思考を1本化)

今でも、その人権蹂躙の影がチラホラしている。

「革命の為にはテロを引き起こすこともいとわない」と日本至上主義の日本新聞が言っていた。過激な思想だと思う。

山本太郎氏が立ち上げたれいわ新選組のやり方は、福祉などの時間を要するとしても、どうか待つ心を持って欲しい。
そして文学や音楽や絵画などの私達の心を潤す事柄をどうか手放さないで欲しい。
そういった多様性が何よりも私達の命を救うのである。

自然界のこの世界が1色で創られていないように、私達の社会も1本化させてはならない。

「お金がないからそんな余裕が無い」…お金が無いのではなく、お金を上層部で留められているのである。
本当は蛇口をひねると水が出てくるのに、権力者等がそれを(私物化し)止めて蛇口をひねっても水が出ない枯渇された状態にさせられているのである。
それを山本太郎氏は指摘している。

今のように当時も大正デモクラシーの自由で民主主義的な風潮を、一部の政治に繋がる権力者等が激しく執拗にバッシングして、まるで悪のように流布宣伝(←プロパガンダ)を大勢で繰り返して、人々を混乱させ洗脳していく。
本当は好戦的な自分達が過激なのに狡猾にすり替えていく。人々の頭の中に繰り返し自分達の都合の良いように塗り込んでいく。

そして巧みな誘導によって始まってしまった世界大戦最中は、天皇の名の元にと始まった戦いだったはずなのに、天皇陛下が「止めよ!軍隊を鎮圧せよ!」と仰っているのにも拘わらず、クーデター(内戦)するほどのワガママぶりで、結局天皇陛下が怒って奉勅命令(←絶対に戦争を止めよという強い命令)を出したのに天皇の命令すら握り潰した!(二・二六事件より)


自由を尊ぶ大臣等を銃殺するわ、執拗に戦争に人々を洗脳するわ、原爆を落とされても、天皇が怒って止めろ!と命令を出してるのに握り潰すわ、日本保守派って?どうしても天皇1本化させたいが為の革命過激派みたいな超ワガママぶり。

そんな自己主張が強くワガママが強い権力者等の為に多くの人々が人権を奪われ傷ついて亡くなり泥にまみれて逃げまわらないといけないのか?

それは、思いやりを持って待つことを嫌い、効率性ばかりを重んじ、権力主義で、我が強く威圧的で強引で、早口で矢継ぎ早に攻撃し口達者で狡猾で弱者の配慮をしない。自由と弱者を敵視する傾向のある者達のために色の無い世界、つまり日本を1本化させるには効率性が重視される為、多様性のある弱者は足手まといとなるのだ。

これが多様性を排除するカラクリなのである。

そんなやり方を、過去、大正デモクラシー謳歌していた日本の中において、密かに日本新聞が狙い育て上げた旧日本軍の姿が存在する。

エキセントリックな考え方がいまだに権力者の心の中に残っているのではないか?組織として息を潜めているのではないか?
権力者の彼等が不都合なことを隠蔽したり改ざんしたりする度に、私達の目にチラリと鋭く光る事実が彼等の懐から隠れる。

私達政治に疎い多くの人々は、自由を嫌う過激な彼等から洗脳されるのをどうか注意警戒して、弱者に対して待つ心の強さと理解を持って欲しい。

決して「こんな余裕のない時代だから美術や音楽や福祉なんかやってる場合じゃないよね!」などと呟いてしまわないように。

どうして、そんな些細な言葉を呟いてはいけない?

それは、そう呟いたその心の隙間に、あの恐ろしい世界大戦の引き金の欠片が落ちてゆくことを、あなたは自覚できるのか?

(その破片が結局、あなたという人間を蝕んでいく…)