政治の怖い現実の動画が消されて(汗)パン屋さんの話、等になる。

Youtubeにあった「女王の教室」の1場面を共有して貼り付けたが消されてしまい(勝手に貼り付けしてごめんなさい)、その1場面が日本会議が正に提唱していることだと私は同感したが、そうでは無くて、多数の人達がこの「女王の教室」の特権階級と競争社会の話に同意されているようだ。

「…日本という国はそういう特権階級の人達が楽しく幸せに暮らせるように、あなた達凡人が安い給料で働き高い給料を払うことで成り立っているんです。…そういう特権階級の人達があなた達に何を望んでいるか知ってる?あなた達がずっと愚かでいてくれればいいの。世の中の不公平に気付かず、テレビやマンガを見てぼぉ〜と見て何も考えず、会社に入ったら上司の言うことをおとなしく聞いて、戦争が始まったら真っ先に危険な所に行って戦ってくればいいの。…」

超競争社会で、特権階級という予め特別にひかれたレールに新幹線の如くまっしぐらに猛勉強をして、周囲から特別扱いをされ凡人と言われる多くの人達を道具扱いして、その人達の不幸や不公平の上に成り立つ幸せを説いているような?

日本の社会って、私が両親から受けた話や体験通りのそんな悲しい成り立ちなんだ?
凡人の人々を尻目に自分達だけいい目に遭って心が痛まないのか?
心が痛まないのが日本って国の特権階級の冷酷無情な人達だよね。
それは折檻で嫌という程、両親から知らされた。
そういう人達に我先になりたくての努力で、そうでは無い人達をバカにしたり虐めたり平気でする?
なんか虚しくなる。


それは芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の場面で、人を蹴落とし踏みつけて我先に助かろうとして上へ上へ蜘蛛の糸を辿って登る人達の話を思い出した。

あの話は確か、蜘蛛に助けられそうになった男は生前散々悪事をやらかしたが、1匹の蜘蛛を助けた話から始まって、その善意の行いが死んでから地獄へ落ちそうになっているところを蜘蛛に助けられそうになった話だったと思う。
だが、その男は自分だけが助かりたくて、次々よじ登って来る人達を足で蹴落とした途端、糸が切れた。


ガラッと話は変わるが、スティーブ・ジョブズ氏がiphoneを発明して有名になったが、彼が産まれた当初、彼のご両親が大学中退と高卒でジョブズ氏を育てられなくて、他の家庭に養子に出されたことをオックスフォード大学卒業式の来賓に招かれた折のスピーチで聞いた。
スティーブ・ジョブズ伝説のスピーチ&プレゼン(The Kegendary Speeches and Presentations of Steve Jobs by Asahi Press)」という本も待っている。

彼も大学を中退していろいろ路上生活も体験したらしく苦労を苦労とも思わず好奇心旺盛な人でアイデアが豊富で成功されたらしい。

スティーブ・ジョブズ氏はがむしゃらに成功のみを勝ち取ろうとしたわけでは無くて、紆余曲折の苦労をされても自分の好きなことを手放さなかったのが自身を活かすことになったと言われていた。
外野の否定的な声を聞く必要は無くてとにかく好きな道をハングリーに追求すればいいとアドバイスしていらした。
「Stay hungry. Stay foolish.」
愚かであれ。と言われていた。
多分、慢心するなと言うことだろうか?
特権階級の決められたレールを走って贔屓されるのとは違う生き方もあると説いていらした。

日本の昔っからの「とにかく勝つ」ことが全ての考え方がしんどい。


そしてもうひとつ、このジョブズ氏以外のことで最近感動したことがある。

私は最近も体を壊して通院していたのだけど、そこの病院の売店で売っていたパンを何気なく買って家に帰って食べた。

それで「なにこれ?旨い〜!」と思わず包装ビニール袋に貼ってある製造元を見ると…、

障害者作業所で造られていた。

今までいろんな市販のパンを食べてきたが、ジットリの脂っこさやパサパサ感や味気ないとかがあって「こんなもんかなぁ?」と思いながら食べていた。が、その障害者作業所が作るパンは今まで食べたことが無いほど雑味が無くてしっとりとしてほんのり甘くふんわりパンの素直な薫りがして絶品なのだ。
余計な添加物が入っていなくてシンプルに作られていた。

面倒臭がりの私がわざわざ製造元の障害者作業所にメールを書いて「美味しいのでどこで売ってるのか?」と聞いたら、その病院と製造元の作業所にしか置いてないそう。

近所のスーパーには売ってなくて、思わずスーパーに電話をかけて「美味しいので○○作業所のパンを販売して欲しい!」と頼んだが、「契約して無いので置けない」と断られた。
私がその作業所の関係者で営業で電話をかけたと勘違いされたかと思った。

いまだに体調が思わしくなくて、だのに病院にも行けてなくて、あのパンが食べたいとほぼ毎日思うほどで、またその障害者作業所にメールをして「パンを宅配で送って欲しい!」と頼んでみた。

お返事メールには「パンは賞味期限が短いので宅配で送れません。
来られる前日にお電話でご注文いただきましたら準備してお待ちしております。」と書いてあった。
賞味期限なんか貼り替えて売れば金儲けになるのに、なんとも真摯で良心的だと思った。

その包装ビニール袋のラベルには、プロのパン製造会社が指導されて障害者の人達で作ってらっしゃるようで載ってあって、そういう点も感動的だった。

パン製造会社の人達が、障害があっても「人を活かして」パン作りを教えて 、障害があっても一生懸命に真摯に美味しいパンを作って心を込めて販売してらっしゃる感じがうかがえて心のこもった温かさを感じた。嬉しかった。
パン作りに誇りを持っていらっしゃるのが感じられて凄いと思った。
いろんな生き方があっていいと思う。
それぞれが大切に尊重されるべきだと思う。


女王の教室」で特権階級だのエリートだので人を出し抜いて、人々を「凡人」と呼び見下して自分等だけ特別扱いを当然だと思う慢心さを肯定する風潮。
これが幸せなのか?
そんな価値観の日本社会って、本当にそれでいいのか?
じゃあ、日産を救った代わりに特権扱いで多額の報酬を受けたカルロスゴーンはなぜ逮捕されたのだ?逮捕されなくとも日本のそのやり方で良かったのでは?(アベ友じゃなかったから?)
ゴーン氏の不正を誘導した?あの日本人は逮捕されずなぜ辞任したのだ?

私も世間とは全く違う価値観でやってきて、両親からこっぴどく否定されてきたので自身の価値が判らず、私は本当に価値が無い人間なのか?と思って、自分の力を知りたかった。
だから両親から離れて必死で働いた。
両親みたいに「とにかくカネ!地位とカネが欲しい」ではなく、自分自身がどうなのか?知りたくて、いろいろ考えた。


勉強はなぜしなければいけない?
エリートになってお金を稼ぐため?

そうではなくて、自分の内面を豊かにして自分自身をより知っていく為に生涯かけて勉強をすればいいと思った。
大人になればなるほど余計に勉強がしたくなっていく。
学校は知的好奇心を駆り立てる勉強法になってないと思う。
私も学校で「なんでこれを覚えないといけない?」と先生に聞くと「これを覚えれば良い点が取れて、有名大学に行けて良い生活が待っている」などと言われたが、目の前にニンジンをぶら下げられて走る馬のようだと思った。
あれでは勉強すること自体が楽しくない。


ノーベル賞を貰う人は、どうしてノーベル賞をもらえるのだろう?

努力したから?
人よりも勉強したから?


そうではなくて、人や地球環境の為に貢献したから?だと思った。


要するに「思いやり」がお金を生むのだと気がついた。


それでその方向で働いた。
お金は働いた結果だと思った。
知らないうちにお金が貯まった。

でも恐ろしいことにそのお金のニオイを嗅ぎ分けて両親や兄弟や強欲な企業等が寄って来た。
悪魔のような凄いあくどい場面を彼等は次々に見せてむしり取っていった。
その一例が「かんぽ生命保険」(←不思議にも大詐欺やっといて誰も逮捕者が出てない!やはり国策詐欺!)であり弁護士であり裁判所だった。
(そのうち国は銀行口座を封鎖して我々のお金を巻き上げるのでは?)

と同時にテレビでも「森友学園問題」等をやっていた。
日本社会って恐ろしいと思った。

どこか基本的に価値観とかが間違えていると思う。

ショックで体を壊して、鬱状態になってご飯が食べれなくなった。

「死にたくなるような社会」をどうにかして欲しいと思った。

そして山本太郎氏を知った。


とにかく今までの平和憲法を守って欲しい。
れいわ新選組山本太郎氏が演説で言った通りを実現して欲しい。

強者優先の、死にたくなるような社会を、その価値観を変えて欲しい。
私は「女王の教室」は殆ど観てないが、あんなさもしい価値観には賛同しない。
日本はもっと体温のある人間社会であって欲しい。

だから、山本太郎の言ったことに共感した。

誰もが等しく大切にされる社会を造り変えて欲しい。

あんなことを言ってくれる人は今までいなかったから。

https://youtu.be/BWE4tLYRC_0